2020年5月31日 (日)

会津街道(白河・天栄・須賀川)

 会津五街道というのがあって、会津から白河への街道も古くからの道であった。秀吉も奥州仕置きで会津入りをした折りにもこの街道を利用している。現在は国道289号線になっており、高速道で郡山を回るより距離が近いことから狭い道にそこそこの交通量がある。

 しかし6年ほど前に羽鳥湖から県道58号を下ったとき、上戸屋宿というのがあり、街道は、国道沿いではなく長沼から南下していることを知 った。

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 今回はそれを走ってみようと、自転車を車に積んで出かけることにした。スタート地点は289からちょっと外れた天栄村役場にした。走るのは県内であるが、会津を出たのは2月の道志以来だから、随分と自粛生活を続けていることになる。

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 289に出て町屋まで南下して、県道58をダラダラと上って、上小屋宿まで来た。まっすぐなとおりに面して家が建ち並び宿場の様相をなしている。看板まで付けられており、なかなかサービスが良い。

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 丁寧にも、高札場の所に丁寧な案内図があった。宿場は東西であるが街道は入り口から南下して白河へ、会津方面へはもう少し上った所から北上しているようだ。

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 十日市というところから県道が出来ていて、ちょっとした山越えになった。白河市と天栄村の境が、手招き峠と思われる。

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 峠から先は大型車通行止めの狭い道を下り、出たところが安養寺であった。入り口には古めかしい石碑が建ち、一里塚跡もあってタイムスリップをしたような佇まいであった。

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 村通りの反対側には、安養寺なる寺があって村名の由来に加えて、有名な座像が安置されているようであった。

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 そこから小さな峠を越えて289を横切った所が、児渡(にと)と言い牧之内宿なる宿場跡であった。

 長沼宿まではもう一山越えなければならない、これを早坂という。今回超えた小峠はいずれも小さなものだったから、すべて~坂と呼ぶのが正しいのかもしれない。

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 長沼からは国道に沿った脇道をたどりながら天栄村役場を目指した。暑かったがちょっと距離不足ではと田んぼの中の古墳に立ち寄るなどした。

 さて、走り残した上小屋から南はどうしようか。

2019年6月 4日 (火)

ACF みちのくラン 蔵王山麓鎌倉温泉 その2

 6月2日

 鎌倉温泉-遠苅田温泉-蔵王山麓-長老湖-七ヶ宿街道関宿-七ヶ宿ダム裏道-小坂峠-藤田駅

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 昨晩は二次会には付き合わず一風呂浴びて、早めに就寝した。ぐっすり寝たつもりだったが、疲れは取れず身体が重かった。しかし、皆元気で予定時刻より早い出発と相成った。

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 天気はすこぶる良くて暑くなりそうだ。宿を出てしばらくは静かな農村風景の中を進んでいった。

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 遠苅田までは交通量が多かったが、そこから南下した蔵王山麓の道は車は減ったものの上り下りの多い厳しい行程だった。

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 蔵王山麓を走る道は思いの外長く感じた。七ヶ宿町の標識を見てホッとしたものの上りはまだまだ続いていた。

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 本日の最高地点の所で皆待っていてくれた。振り返ると牧場のような広々とした風景が広がっていた。

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 ダダダダーッと下って辿り着いたのが長老湖。静かなリゾート地のようで信州の湖に似ているようであった。

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 目的は長老湖ではなく、そこからの遊歩道であった。林間の静かな道で下り基調だから階段もあまり気にならなかった。

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 最後はやまびこ吊り橋なるものを渡った。強風時には渡らないでというだけあって、微妙にユラユラして、ずっと下の谷川が見えるようになっていた。右手の上流方向には不忘山がそびえていた。

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 そこからも快適な下り道がずううっと続いていた。時刻は昼を回っていた。関宿へ関宿へとペダルを回していった。

Ac10

 お昼は蕎麦屋さんを予定していたが、人数が多くて2軒とも駄目で、道の駅七ヶ宿で食べることになった。駐車場にズラリと並んだ自転車群・・・

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 道の駅からはダム湖を渡って南岸を進むことになった。道は狭いが静かで良い道であった。

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 この道には3つほどトンネルがある。プランナーからも「ライト要」の注意があったからヘッドランプまで準備してきた者もいた。

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 さて七ヶ宿最後の宿場上戸沢は上りの途中にある小さな集落で会った。バイパスが出来ていて忘れられた感のある静かな家並みであった。

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 もうエネルギーが切れていたから、最後の上りが辛かった。赤い鳥居が連なる頂上付近の神社口で一休み。

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 2度目か3度目になるだろうか。峠からの展望は相変わらず素晴らしかった。後は峠道を下りに下ってJR藤田駅から輪行すれは良い。

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 2日間ともみっちり走った久しぶりのツーリングであった。

2019年6月 3日 (月)

ACF みちのくラン 蔵王山麓鎌倉温泉 その1

 ACFの今年のみちのくラン。担当が仙台のN氏だからコースはなかなか厳しそう。今年はあまり走れていないのがちょっと心配であった。

 6月1日

 仙台駅-青葉城城址-サイカチ沼-秋保温泉-内野林道-安達集落-羽前街道四方峠-鎌倉温泉(泊)

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 仙台駅西口発9:30の予定に、輪行で続々と集まってきた。総勢17名(2名は後着の予定)の大所帯であった。

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 市内を抜けて青葉城の急坂に苦しみながら西へ西へと進んだ。お城の次は東北大学、行けども行けども東北大学であった。

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 愛子から南に進んだ所にあるサイカチ沼で昼食となった。交通量の少ない道を辿ったり大人数のため行程は遅れがちであった。サイカチ沼畔の道は木陰も多くて気持ちの良い道が続いていた。

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 舗装路ではあるが、上り下りが多くてなかなか厳しかった。高齢者の多い集団だから秋保温泉では離脱者出てしまった。更に奥へ奥へと進んで、いよいよダートの林道内野線(地図にない)に入った。

Ka05

 コースも終盤だからと無理せずに押しに徹した。

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 途中2つか3つほどの偽峠あって乗ったり押したりを繰り返す内になんとか最高点にただ取り着いた。先頭をかなり待たせることになったようで皆マッタリとくつろいでいた。

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 峠を下りたところが、安達集落。牧場か畑作が中心であろうが過疎化が進んでいるようであった。

Ka08

 その後は、ちょっと賑やかな川崎町を抜けて、いよいよ羽前街道四方峠への道へと入りました。

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 この街道、舗装はされていたものの状態は悪くて、結構長い峠道でした。途中に見所の標示があったのを良いことに写真を撮ったりと休み休み上りました。

Ka10

 峠付近には立派な標識が立っていました。「江戸へ百里」おおざっぱな距離ですが、参勤交代用の江戸街道だったのでしょう。

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 昔は四方が見渡せたという峠、山城か館があったらしく、ちょっと離れたところには物見櫓らしきものもありました。今は草木が生い茂り見晴らしは良くありませんでした。

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 下りの道は、打って変わって林道というよりも作業道といった感じの道で、妖しげな道を地図を確認しながらどんどんと下りました。

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 急にぽこっと開けたところが鎌倉温泉でした。赤いトタン屋根がトレードマークのようで、日帰り客の車が結構止まっていました。

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 自転車はちょっと上の軒下において、温泉宿へと下りていきました。部屋は湯地場的な装いのちょっと古い建物で、風呂は小さいけど新しく建て替えられたようでした。

Ka15

 

2017年9月16日 (土)

北へ Ⅳ 洞爺湖・支笏湖

洞爺湖一周
 どこへ行こうかと地図を見ていて、洞爺湖近くの昭和新山が目に留まった。湖畔にビジターセンターもあるようなので行ってみることにした。自転車には乗るつもりは無かったのだが、行ってみると湖畔一周道路でツーデイマーチとかゆうトレッキング大会をやっていた。歩いて回れる程度ならと一周してみることにした。
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 道が湖畔から離れると緑のトンネルとなりなかなか気持ちが良かった。
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 湖の中央には中の島という島があった。遊覧船が通っているようだった。
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 交通量が多かったのは国道や洞爺湖温泉付近のみで後は静かな道だった。
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 3分の1程回った辺りか、中の島の形が変わってきている。
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 3分の2程回った辺り、道が狭く車で走るには気を遣うが、自転車には気持ちよい道であった。
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 間もなく一周、温泉街の向こうに見える山々は有珠山かそれとも,昭和新山。昔のいわきのボタ山を見ているような感じがした。
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 一周36キロあまり、予定外で駆け足のランになってしまった。
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千歳・支笏湖自転車道
 千歳から支笏湖までは自転車道が通っている。北海道でも有名な自転車道なので走ってみることにした。道の駅千歳の臨時駐車場をスタートにした。
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 支笏湖への県道を走っていくと、自転車道の入口があった。入口に北海道らしい黄色のヒグマの看板で熊注意とあった。昔はビビった標示だったが、今は本州でもどこでも見かける注意書きになってしまった。
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 道は緩い上り坂であった。時折案内板があるお休み処や、車で来た時用なのか駐車場があったりした。
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 落ち葉が濡れていて滑りそうな感じがした。自転車道は県道や林道にほぼ沿っており、時折離れて単独の道になっているようだった。
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 カタツムリが数匹出てきていた。このように日当たりが良い所に出てしまうと、干上がってしまうからと数匹を救出してやった。
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 このように一般道から離れた所の方が、緑が多くて走りやすかった。
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 支笏湖はなかなか綺麗な湖だった。湖岸に出ることが出来るのはほんの一部のみで道路が湖から離れているのが良いのかもしれない。
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 恵庭岳かな。
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 奥にちょっとそびえる平らな山が樽前山、右手の裾の方しか写っていないのが、風不死山と思われる。
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 ビジターセンターにはこのように沢山の自転車が止められていた。また、帰り道何台もの自転車とすれ違うこととなった。
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 千歳川、なかなかの水量であり、鮭鱒が沢山上がってくる川のようであった。だから、熊も餌を求めてやってくるのであろう。
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 自転車道は千歳川沿いにかなり町中まで入っていた。お陰で、車を気にせずに千歳市内まで戻ることが出来た。
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 走り終えたところで、苫小牧港に電話したら、19時発の仙台行きフェリーに空きがあるという。だいぶ疲れてきたし予定ではもう1日余裕があったのだが、帰ることにした。北海道の締めはやはり「苫小牧発仙台行きフェリー・・」ある。

2017年9月15日 (金)

北へ  Ⅲ  サロマ湖・納沙布

サロマ湖龍宮街道
 サロマ湖は大きくて気になる湖だが、砂州の所に自転車道が出来ていて、原生花園もあるということなので、立ち寄ってみた。ここからは自動車は進入禁止で、自転車歩行者馬車の道である。自分の自転車なら時間制限無しに走って良いという。
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 道には龍宮街道という名が付いていた。網走からの自転車道がそのまま入ってきているのかもしれない。Sa02

 レンタサイクルの人たちが騒いでいたので藪の中を見たら鹿が何か食べていた。稚内では平気で道路を横断していたし、極寒の地でどうして冬を越しているのかと思った。
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 道は結構走りがいがあった。ほぼ舗装であったが、後半は地道もあった。レンタサイクルがほとんどとは思うが、地道にもタイヤの跡が沢山付いていた。
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 湾曲してちょっと高くなった橋があった。右手がオホーツク海
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 そしてすぐ左手がサロマ湖、狭い砂州で仕切られているだけだった。
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 最終地点にはワッカの水という湧き水があった。もちろん真水。この先も徒歩なら行けそうであったが全くの原生林(藪)のようだった。
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 龍宮街道を反対方向にも行ってみた。結構遠くまで続いているようであった。
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 いい加減飽きた所に自転車Uターンの印があったので、戻ることにした。
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 サロマ湖に沈む夕陽を見ることが出来た。網走にホテルを取ったので、このように日が傾くまで走るゆとりがあった。
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本土最東端納沙布岬
 霧の納沙布も一度は行ってみたい所だった。根室市内の明治公園に車を置いて県道を時計回りに走ってみることにした。
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 走り出すとすぐに静かな良い道となった。牛が放牧されているのどかな景色が次々と現れた。
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 北方領土関連の立て札も多く見ることが出来た。国では無く市が建てているようで、地方の力が外国に及ぶとは思えないが・・
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 原生花園にも北方原生花園の名が付いていた。ポニーが放し飼いにされており、入口の錠を外して入るようになっていた。
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 木道の上や東屋の下にもポニーがたむろしていた。時期的に花は少なくポニーはおとなしそうだったが、直接触ることは出来なかった。
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 市の両脇はほとんど原生花園か放牧地になっていた。岬が近づいてくると霧が出てきて納沙布の雰囲気が出てきた。
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 納沙布岬に到達、霧で北方領土は見ることが出来なかった。ここも、車が数台止まってはいたが、いたって静かな岬だった。
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 納沙布岬灯台にも行ってみた。北海道で最初に灯台が出来た所のようだった。岬の先は岩場となっていた。
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 帰り道の道ばたの原生花園には黄色と紫の花が沢山咲いていた。何々原生花園と銘打ってある所はほぼ花は終わっていたが、ほんの道ばたでもこのような花を見ることが出来た。
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 根室市内が近づいてきても霧は晴れなかった。シカ注意の看板は北海道ではお馴染みとなってしまった。
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2017年9月13日 (水)

北へ  Ⅱ

サロベツ原野
 北海道の日本海側はにしん街道と呼ばれていて、かつては鰊漁が盛んな所であった。南部の追分ソーランラインは走ったことがあるので、北の日本海オロロンラインが今回の狙いであった。今回は図らずも車で走ることになったが、小樽・石狩間は車が多く、石狩留萌間にはとんでもなく長いトンネルがあったりして、快適そうなのは留萌から北であった。車で良かったかもしれない。
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 良さそうな所を少し走っておこうと、サロベツ原生花園の駐車場に車を入れた。
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 県道を海岸を目指して走った。後方左が原生花園だが、9月ともなれば花も無く原生というだけあっていわゆる藪である。
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 7キロほどで海岸が見えてきた。ちょっと風があるようで心配だった。
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 北を目指すオロロンライン、如何にも北海道らしい真っ直ぐな道、左は海、右は谷地や牧草地になっていた。
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 道ばたに野いちごかなと思って自転車を止めてみたら、ハマナスの実のようであった。
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 海の向こうには利尻富士が見える名所ではあるが、なかなか雲が切れず山頂を見せてはくれなかった。
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 やはり北海道、ツーリストとすれ違った。クロスバイクのリアに山積みの荷物、私が自転車乗りを始めた頃のスタイルそのままであった。格好よりもまず旅に出るその姿勢が大切だ。
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 風は海からでちょっと追い風、調子よく進んだ。雲がなかなか切れなかった利尻富士山頂も何とか見ることが出来た。
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 だいぶ走って浜勇知から内陸に入ることにした。前方にかすかに見えるのが野寒布岬であろうか。
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 内陸に入ると放牧地で牛がのどかに草を食んでいた。
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 勇知駅近くで宗谷本線の線路を横切った。もちろん単線、北海道の鉄道はなかなか厳しいようで、会津線程度の路線が普通のようだ。
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 兜沼を過ぎ県道を南へ向かった。牧場が次々と現れ、のどかな風景なのだが上り下りが続きおまけに強い向かい風に苦しんだ。
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 高台からは海が見えたりもした。本州なら山の中でも集落をなしている所が多いが、北海道の牧草地は広大な土地に家がまばらで生活も大変であろう。
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 ようやく豊徳まで戻ってきた。60キロちょっとであったが北海道らしさを楽しむことが出来た。
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宗谷岬 日本最北端
 当初は稚内から最北端の地まで走って行くつもりだったが、稚内の車の多さに嫌気が差し、そのまま車で238を北上した。
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もうすぐ岬という所で県道889に入りPAに車を止め走ることにした。これはツーリングマップルの表紙にもなったという所であってなかなか素晴らしい景色だった。
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 丸山の山頂と思われる所にドームがあって、その脇には風力発電の風車が並んでいた。
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 宗谷岬牧場の辺りからは海も見えるようになった。
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 岬に直接下りては味気ないからと、宗谷の町に下りてみた。港の前には日本最北端の郵便局があった。
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 少し走って、いよいよ日本最北端の地に到達した。本州の大間岬のように雑踏を想像していたのに静かな所であった。ロードバイク乗りが一人、そして小さなピアノを持った若者が一人。
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 ピアノ弾きに定番の写真を撮ってもらい、ピアノまで弾いてもらった。
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 遠浅の海のようで、サギのような鳥が魚を狙っていたり、カモメが泳いでいたりした。沖に見える島が本当の日本最北端らしい。
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 ぐるっと回ってまた景色の良い県道をゆっくりと上っていった。
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 最北端到達の感慨は薄かったが、牧歌的な景色はめっけものであった。

2017年9月12日 (火)

北へ Ⅰ

プロローグ
 今年は北海道へ行こう。もうトシだから最後のチャンスになるかもしれない。頃が良いのは7月上旬、小樽へフェリーで渡って北を目指そうと考えた。しかし機は熟さず。8月上旬に持ち越した物の、夏バテで体力が続きそうも無く断念。9月上旬ならお年寄りの安切符も有り最後のチャンスと思った。
 しかし、考えがまとまらずに、とにかく車に自転車を積み北へ向かうことにした。その日は9月3日(日)東北道を北へとひた走った。青森港で出発間際だった14:20発のブルーマーメイド号に折良く乗船することができ、津軽海峡を函館へ向かった。
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 車で来るといろいろな荷物が持てるのが利点だ。後部席には自転車、そしてマットを敷いて車中泊が出来るようにした。このように簡単なクッキングも出来る。最初は半分は宿に泊まる計画だったが、8泊のうち車中泊5、ホテル2、フェリー1と車よりになってしまった。
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 日帰り湯も結構利用した。最北端の温泉も老人割りで利用、写真は最東端の湯と思われる根室の銭湯で、漁師と思われる人たちが沢山利用していた。
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ニセコ
 車は2500kmほど走ったのに、自転車が250km程と物足りない所があった。
 最初はニセコビュープラザの道の駅に車を止めて周囲を走ってみることにした。今はどこでもこのような自転車置き場があるがランドナー風の自転車にはどうも合わないようだ。
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 道の駅でジャガイモの一口コロッケを買って腹の足しにした。今回は北海道グルメはこの程度で素食に徹してしまうことになった。
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 国道5号線を北へ向かった。普通なら国道は避ける所だが、車で走ってきて思いの外車が少ないので利用してみた。このようなただただ真っ直ぐな道が北海道らしい道だ。
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 振り返っても真っ直ぐで、大きな木はポプラの木であったろうか。
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 雷注意報が出ていたようで、急に黒雲が流れてきてホツリポツリとしてきた。慌てて左へハンドルを切りニセコヒラフの方へ向かったが、路面は濡れていた物のうまく雨雲を避けることが出来た。
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 広いジャガイモ畑の向こうの雲のかかった山は羊蹄山である。当初はこれを一周してみようと思っていたが、雲を見てポタリングに替えて良かったかも。
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 ニセコの町中の舗道上には、このような机椅子が各所にあった。コーヒーやお茶でもしながらのんびりしたいところだった。
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 北海道は寒いのではと心配したが、半袖に腕カバーで十分で、下もハイソックスよりはショートソックスの出番がほとんどであった。
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2017年5月31日 (水)

ACFみちのくラン ②蟹ヶ沢渡河  5/28

 小野川温泉→米沢→板谷峠→蟹ヶ沢渡河→黄金坂→福島駅解散
 夕べは温泉に入って早めに寝たが、なかなか疲れが取れなかった。でも、朝風呂に入って朝食を取ると元気が出てきて予定時間に出発することができた。
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 米沢駅で買い出しを済ませ、奥羽本線に沿って走り出すと、丁度踏切の所で新幹線が通過していった。
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 米沢街道(板谷街道)は緩やかな上りで、車も少なくのんびりと走るにはもってこいの道であった。しかし、沢渡りのことを考えると自然と足に力が入った。
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 大沢には駅はあるが停車は在来線のみで本数は僅かである。草刈り機のエンジン音がしたが、人影はほとんど見られなかった。
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 時折立ち止まっては渓谷を眺めるなどするが、橋が工事中とか沢が増水しているかとか不安があって先を急いだ。
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 峠近くは地道となり勾配もきつくなった。新緑が綺麗だからと時折押しを交えながら上っていった。
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 板谷峠から板谷までは一気に下っていた。駅前でも止まることなくすっ飛ばして行った。
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 蟹ヶ沢は以前来た時は中州があって浅めだったが、流れが一つになって流れも急になっていた。大丈夫渡れると靴を脱ぎ渡河の準備に入った。
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 皆自転車を担いでザブザブと渡って行った。N氏の渡河用靴下を準備するは正解であった。
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 渡り終えて一安心したところで河原に座り込んで昼食とした。藤の花が咲いていて綺麗だった。
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 しかし、この後にもう一つ峠が控えていた。地道で荒れたところもあってなかなか手強い道だ。
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 旧街道石畳の入口、疲れているから入ろうという者はいない。
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 立派な不動明王があるともう少しだ。
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 かつて宿場があった李平を過ぎる。300段だかの神社には今回も寄らずじまいだった。
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 ようやくピークに到着。後は下るのみ。気温は低めで下りの備えて上着を着込む者も。
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 黄金坂付近か、福島盆地が見えてきた。信夫山が見える。駅はその近くのはずだ。
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 下りで一気に時間を稼いでほぼ予定通りに福島駅に着くことが出来た。自転車を畳んでそれぞれの帰路についた。東北本線、磐越西線とローカル線を乗り継いで帰ったが。車内でコックリコックリと居眠りが出るほど疲れていた。
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2017年5月30日 (火)

ACFみちのくラン ①桧原峠越え 5/27

 今年のアルプスサイクルフレンズのみちのくランは、仙台のN氏と私の担当で、猪苗代から米沢へ、小野川温泉で1泊して福島へ抜けるという計画を立てました。2日間とも旧街道狙いなので、マニアックな厳しいコースです。

 会津若松→猪苗代駅集合→裏磐梯→旧桧原峠→綱木→小野川温泉泊
 滝沢峠を上って強清水へ、朝方まで雨が降っていたようで、曇り空ながら新緑が綺麗です。
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 花も咲きそろってきました。手前はあさぎ大根、その向こうに菜の花、奥にかすかに見えるのが藤の花です。
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 田圃には水が張られて田植えが終わったばかり、天候は良い方に向かって磐梯山が顔を出してきました。
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 猪苗代駅に到着すると、ACFの仲間達は自転車を組み立てていました。昨年に引き続いての猪苗代駅集合なので手慣れたものです。
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 早速裏磐梯へ、上り坂なのですが皆さん早くてどんどん行ってしまいます。剣ヶ峰の昨年泊まった宿へ顔を出してみました。
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 檜原湖畔を北進します。雲はあるものの磐梯山の裏側もほぼ姿を見せてくれています。
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 檜原湖北端の金山から鷹巣山林道へと入りました。崩れた石ころや倒木もそのままでまだ春先の整備が行われていないようでした。
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 旧米沢街道桧原峠別れにて、どちらの道を行くのか相談しているのではなく、お昼をここで食べるか峠で食べるかの相談です。お昼を回っていたのでここでお店を広げることとなりました。
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 当然旧道を行くことになります。会津側の上りは幅広で比較的良い道です。自転車には橋が狭いかな。
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 やはり春先の整備がまだだったようで、枝が自転車に絡まりだいぶ苦労しました。最後の急坂を押し上げると峠です。
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 広い峠に到着です。自転車は様々です。サドルバッグ仕様、フロントバッグ仕様、ザックにして自転車には付けない。それぞれの好みが現れます。
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 さて下りに入ります。この峠道は米沢側が悪くて距離も長いのです。でも下りですから。道は思いの外良くて押しながらですがとっとこと下ることが出来ました。
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 所が、沢沿いに出てもう少しで林道かと思ったら、道が完全になくなっていました。自転車は手渡しで運びました。人数がそれも手慣れた人たちが多くて助かりました。
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 最後の難関です。前方の車が見える所が林道です。最後の沢渡りです。丸木橋を渡るもよし、沢をザブザブと渡るもよし、もう一息です。
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 林道に出ると舗装になっていました。スポークの外れるトラブルなどもありながら下り始めました。米沢側最初の綱木の部落。ほとんどが無人のよう限界集落ですね。
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 時間も遅くなり下りはほぼノンストップで駆け下りました。綱木ダムサイトではローラースキーでクロカンスキーのトレーニングをしていました。ダムもなかなか立派でしたがすっ飛ばして下ります。
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 泊まりは小野川温泉ししど屋旅館です。硫黄臭い温泉がなかなかです。ビールが次から次へと出て遅くまで宴会が常なのですが、思わぬハードコースにすっかり疲れてしまい私は早めに床につくこととなりました。
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2016年9月19日 (月)

庄内 Ⅱ 9/16

 雷峠  2日目は新潟との県境にある雷峠を越えることにした。当初は鼠ヶ関辺りに車を置いて峠だけ回ってくることも考えたが、余りに味気ないので鶴岡から走って行くことにした。駅のすぐ近くの1日400円というリーズナブルな駐車場に車をデポした。
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 曇り空で、朝方は気温も低くてちょっと肌寒いくらいで腕カバーをして走った。市街地を抜けるとすぐに田園風景が広がった。
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 湯田川の所で349に出た。小トンネルを越えて田川に出た。最初の峠(といってもトンネルだが)鬼坂峠への上りが始まった。
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 旧道らしいところを辿ってみたが、旧トンネル通行止めの標識があった。先もあるし直に鬼坂トンネルを抜けた。
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 次は楠峠、これは旧道が残っているようであったが、交通量も少ないからと楠トンネルを抜けさせてもらった。下りたところは温海川といってあつみ温泉の上流になる小さな部落で、段々畑にソバが植えられていた。
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 さて、次は一本木峠でこれはトンネルが無い。気合いを入れて登ったらあっけなく越してしまった。
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 木野俣は少し大きめの部落だった。はずれに小学校があったがご多分にもれず廃校となっていた。しかも今年の3月にである。少子化でスクールバスの送迎であろうが、こういった立派な建物が廃屋になっていくのはもったいない気がする。
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 木野俣から関川トンネルを越えたところが関川である。ここは、戊辰戦争時に庄内平野への侵入の押さえになった所らしかった。
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 国道は関川から鼠ヶ関へ下りてしまう。村はずれから左折して県道52へ入った。薪が積み上げられた小屋にソバ畑とローカルな道となった。
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 五つの小峠の最後の上りはなかなかきつかった。木々も生い茂って車の往来は全くなかった。
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 峠には最近では珍しく雷峠の石碑が建てられていた。本日の最高点260m余でほんの数メートル下ったところに新潟県の標識があった。
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 下るとすぐの所が雷の部落であった。小さな部落であったが「シナバタの里」なる看板があり、地元の植物を使っての織物があるようであった。(昭和村のカラムシ織みたいなものか)バス停もあり1日に2~3本の便があるようだった。
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 後は、日本海まで一気に下るだけと思ったが、クネクネと長い道のりだった。途中に小俣宿と言って奥州浜街道が横切っているところがあった。宿場跡より日本国山なるすごい名の山が売りのようであった。
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 滑り込んだのは府屋の駅、列車が出たばかりで1時間以上の待ち時間があったが、特急が止まる数少ない駅であるから、輪行を決めた。
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 走っている間は元気があったが、小峠をいくつも超えたから結構疲れていた。鶴岡駅に戻り、輪行状態のまま車に積み込み、会津へ。4時間を越える車の旅はなかなか応えるねえ。