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2019年2月25日 (月)

ハンドメイドバイシクル展・多摩川サイクリングロード・BCC

 2月23日(土)
 毎年出かけていたハンドメイドバイシクル展、今年は2月開催となりました。場所も科学技術館から東京流通センターへと変更です。出展者が増えてきて科学技術館では手狭になってきたからかな。こういう催しに人気が出てきたと言うことは良いことでしょう。


Ha01
 スタートは大森駅にしました。昨年品川水族館へ行っていたので土地勘があってここにしたのです。自転車は久しぶりにトレンクルにしました。乗ってみたら軽いだけで不安定それにギシギシと音がして焦りました。でもすぐ慣れてしまったのでした。


Ha02
 分かりにくい道を通って会場の東京流通センターへやっと到着しました。駐輪場の案内人もいるし、会場も広くて明るいしと今までとはちょっと違いましたね。


Ha03
 さて、早起きして一番電車で出かけた目的は、ビルダートークショーの広瀬氏です。身体の調子は悪いようですが、まだ自分で火を噴いているそうです。自分の考えで独学に始めたことで跡継ぎはいないとのこと。私が馴染んだビルダーは高齢になってきて寂しい限りです。


Ha04
 せっかく来たからにはちょっと走っておかなくてはなりません。鎌倉から来ていた輪友のT氏に案内してもらって川崎側の多摩川の河口へと。


Ha05
 そこからは、羽田空港へ離着陸する飛行機がよく見えるのでした。見ている間に次々と飛行機が飛び立ち着陸してきます。さすが羽田ですね。


Ha06
 T氏は途中から脇道を通って帰るからと土手の道から下りていきました。写真では小さいけれど家の前で三毛猫が2匹日向ぼっこをしている、のどかな道でした。


Ha07
 思いの外向かい風が強くて苦しみましたが、六郷の渡しの所から15号線で多摩川を渡って再び大田区へ・・・その日は孫の所に泊まったのでありました。

2月24日(日)


Ha08
翌日は、孫と多摩川沿いをサイクリングです。大きい方が7歳、小さい方が4歳なのにもう自転車に乗れるのです。私なんかは10歳過ぎだったと思うのですが、ペダル無しのストラーダの威力はすごいです。同じくらいの子どもたちがスイスイと乗っています。


Ha09
 お姉ちゃんにはなかなかついて行けずによろよろする場面も。ブレーキの問題もあって一般道を走るのは大変です。あまり早く乗れるようになるのも問題ですね。


Ha10
 でも、このおちびさんの方が砂利道でも何でもなかなか頑張ります。嫌いにならないようにあまり無理をさせずにやっていけば、良い跡継ぎになるかもしれませんね。


Ha11
 さて帰り際にBCCこと自転車文化センターにちょっと寄ってきました。前日のハンドメイドバイシクル展もBCCの企画だし、なにせ、自転車の蔵書数では一番ですからね。

 帰りの列車はちょっと混みましたが、ミニミニ自転車だったのでまあまあ楽ちんでした。今年は春が早いので本格的に走れるようになるのももうすぐで楽しみです。

2019年2月21日 (木)

烏帽子掛峠・花立峠  2/19

 春も間近になってきました。やはり雪のない所を走っておこうとカーサイクリングに出かけました。栃木県那珂町の道の駅ばとうを起点にして走ることにしました。
ばとう→大内→大那地→烏帽子掛峠→小田野→花立峠→烏山→ばとう


Ki01
 国道をちょっと走って馬頭の町中に入ってみました。今まですぐ脇のバイパスを走っていて気づかなかったのですが、感じの良い古い町並みが続いていました。


Ki02
 県道と国道を大子方面に走って、大内から県道232に入りました。初めて走る山の中のローカル色溢れる道と踏んだのですが、どうだったでしょうか。


Ki03
 「ヤマメの里」という看板がありました。ヤマメというと結構山奥に住む魚のような気がしますが、すぐ後ろの大内川は渓流のような感じではなかったですね


Ki04
 道端にあった無人の家。看板には「酒」「塩」、その向こうの赤いのには「タバコ」とありました。村の万屋さんだったのでしょう。


Ki05
 白くてポツポツと咲いていたのは、梅の花でした。この後紅梅もありましたがまだ2部から3分咲きといったところでしょうか。


Ki06
 大那地というところにあった地蔵堂です。高台の立派な建物の中に地蔵様が安置されていました。今だこの地域では信仰が続いているのでしょうか。


Ki07
 大那地から更にローカルな県道232に入りました。スリップ注意の看板があるようにちょっと雪が降ったような形跡がありました。なかなか急な坂道で途中にえぼしの里などという遊歩道も有ってエッチラオッチラと上っていきました。


Ki08
 逆行で暗くなってしまいましたが、烏帽子掛峠です。切通の狭い峠で、栃木県と茨城県の県境になっていました。


Ki09
 下りは最初急な坂道で後ろブレーキがキーキーと音を立てました。急な下りのポジションがなかなかつかめないな思いながら下っていくと、人家が見えて坂も程よい勾配となってきました。


Ki10
 さすが、茨城(奥久慈)は林業の盛んな所です。切り出した杉材が沢山積んでありました。もう少し高く積んであった方が写真映えするのですが。


Ki11
 小田野で国道293に出たのですが、車の多い花立トンネルは敬遠して、自然公園のある旧道を走ってみました。自然公園のすぐ下に、花立峠の道標が置かれていました。本当の峠からは移築されているようでした。


Ki12
 峠から国道へ下る道は豪快なつづら折れの道でした。このような道は写真を撮ったりしているよりはダダダダーッと下ってしまった方が良いですね。


Ki13
 国道を離れて県道で烏山へ向かうことにしました。県道沿いに、水戸黄門で有名な「風車の弥七」の墓があるとの表示を見つけました。物は試しにちょっと横道に入ってみたのですが、予想より早くに雨がぱらつきだしたので早々に引き返し帰路を急ぐことにしました。


Ki14
 大したことは無いと走っていたのですが、雨具の上を着て、そして下も履いて、バッグに雨カバーをしてと本格的な雨装備となってしまいました。那珂川にかかる烏山大橋の手前の東屋で一休み・・・本降りとなっていました。


Ki15
 烏山から馬頭までの那珂川沿いの道も那珂川が下に見えて良い景観だったのですが、とにかく急げ急げで道の駅に戻りました。道の駅には温泉を利用したフグ料理とかイノシシ料理とかの幟が沢山立っていました。

 馬頭温泉には一度泊まったことはあるのですが、もう一回泊まって近くの林道辺りでもウロウロと走ってみたいです。

2018年12月19日 (水)

ACF60歳  大多摩ウォーキングトレイル  12/15

 60年前というとランドナーブームの前だから、アルプスではクラブモデルが中心の時代だったろう。慎一氏はツーリングのノウハウを前面に出し、サイクリングを普及させようと骨を折っていた。高級車というより、サイクリング普及車というのがアルプス位置づけだったのであろう。
Wo01


 現在のクラブ員もツーリング好きが多いから、自転車がどうのこうのというより、飲み会での情報交換の方が盛んになってしまう。
Wo02


 翌朝、宿舎の山荘鉢の木の前で・・・自転車を待たずに電車で来て電車で帰るもの有り、自転車で来てまた乗って帰るもの有り。輪行で来てこれから峠を目指すもの有りと三者三様で、記念写真を撮ろうにもなかなかまとまらなかった。
Wo03


 峠越えにも誘われたが、車で家に帰ることもあって、お手軽な昨日走ったコースの下流部分を走ってみることにした。ネットで検索した案内では大多摩ウォーキングトレイルとなっていた。これも案内標識がしっかりしているようだった。
Wo04


 最初こそ、車も通らず、地道で走りやすい自転車向きの道だった。
Wo05


 しかしながら、遊歩道だから狭い道に階段があって・・・
Wo06


 また上ったりの繰り返しであった。むかし道と比べると、とても自転車向きとは言えなかった。
Wo07


 でも、旧道らしい佇まいがあったりして、車が多い道路よりは楽しい道であった。
Wo08


 数馬橋で止めようかと思ったが、頑張って白丸ダムまで行った。ダムから最後の急坂が長い階段になっていて休み休みやっとのことで道路まで担ぎ上げた。
Wo09


 対岸に渡っても国道をそのまま走らずに脇道を探して走った。数馬の切通と呼ばれるかつての難所があるというのでシングルトラックに分け入った。積もる落ち葉が気持ちよかった。
Wo10


 峡谷で通れなかったところをなんとか切り開いたのであろう。岩を削った見事な切通であった。残念だったのは切通の先の道がなかった事であった。すぐ下に旧街道が走っていたので階段でも良いから抜けられるようにしてもらえば良いのに。
Wo11


 トンネルが出来たために横に残された旧道を走った。素掘りのトンネルが残っていたりして気持ちの良い道であった。
Wo12


 最後は、奥多摩駅近くのもえぎの湯で一風呂浴びて帰ることにした。時折晴れ間が出て思ったより気温が下がらなかったようだが、冷え切った身体をゆっくり温めてからツーリングを閉じることにした。
Wo13


 2日で30キロちょっとと距離は少ないが、静かなコースを堪能できた。シーズンにはハイカーが列を作り、自転車ではとてもとても通れそうもないとの事であった。都会にも良いところが沢山あるものだ。

2018年12月18日 (火)

ACF60歳  奥多摩むかし道  12/14

 1969年にアルプスでクイックエースを購入したのが私が自転車乗りにのめり込むきっかけでした。そのアルプス自転車工業は閉店して久しいのですが、ツーリングクラブのACFは脈々と活動を続けています。私は道志でクラブ員に出会ったのがきっかけで3年ほど前からACFに入会することになりました。ACFの満60歳の誕生会が奥多摩で開かれるというので久しぶりに泊まりがけで出かけることになりました。
Mu01


 どこを走ろうかと地図を眺めてみたものの、車で行って半日程度というとなかなかコースが決まりません。興味を持ったのが「奥多摩むかし道」という10キロ程度のハイキングコースでした。
Mu02


 道標はしっかりしているようでしたが、すぐ狭い急坂となりました。アルプスクライマーという山中でも取り回しやすい自転車で来たので押し担ぎがあっても平気です。
Mu03


 林道あるなと思ったら、線路が残っていて廃線跡のようでした。今は奥多摩駅が終点ですが、多分ダム工事用に鉄道が敷かれていたのでしょう。
Mu04


 さすがに、旧街道です。石仏がズラリと並んでいたりもしました。
Mu05


 道端の木に黄色い実がなっていました。ゆずでしょうか。冬もそんなに寒くないのかな。
Mu06


 突然このような階段が現れたりしました。遊歩道なので想定内でした。よいしょと担いで越えることにしました。
Mu07


 おおむねこのような気持ちの良い道で、乗車率も結構高く、途中でシクロクロスのお兄さんに抜かれました。自転車はこれ一台でした。ほとんどが国道走でしょうから。
Mu08


 谷が随分と深くなってきました。林業の作業用なのか小さな吊り橋が二つばかり架かっていました。
Mu09


 ここから、急勾配と書かれた最後の難所に突入です。落ち葉が降り積もった冬の関東らしい道でした。
Mu10


 左手に奥多摩ダムが見えてきました。思ったより随分と大きく見えました。
Mu11


 そろそろ終わりかなと思ったのですが、まだまだ険しい道が続きました。この辺りは石畳が敷き詰められていました。
Mu12


 奥多摩湖がばっちり見える展望台。周囲の山々がハイキングコースとなっているようでした。
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 奥多摩湖の下りて一休み。観光客はチラホラでロードバイクも何台か止まっていました。
Mu14


 奥多摩駅までのダウンヒル、旧道を3時間かけて上ったのに下りは僅か20分でした。快適な下りと言いたいところですが、寒くて寒くて・・・押し歩きの時の方が快適でした。

2017年4月10日 (月)

九十九里浜・なかがわ水遊園

 手賀沼をスタートにしたお花見ランのお誘いがあった。手賀沼は学生時代伊豆一周に行く前にトレーニングとして行った思い出の場である。同じく学生時代房総半島を一周した帰り道、長く続く九十九里の海岸線を見て、いつかは走ってみたいと思ったのが心に引っかかってきていた。この二つをクリアーしておこうとカーサイクリングの計画を立てた。

きみがはま潮騒公園 移動日を位置にに設けて犬吠埼のきみがはま潮騒公園で車中泊をした。海沿いの駐車場ですぐそばに灯台があった。久しぶりの車中泊に、車が揺れるほどの強風、そして夜半からは激しい雨などでほとんど眠れずに一夜を明かした。
Ha01


飯岡・九十九里自転車道
 雨と風に機先をそがれ、車で海岸線をウロウロしたがサイクリングロードを走ってみることにした。海沿いの駐車場に車を置いて、飯岡に向かって走り始めた。
Ha02


雨も小降りで追い風にも乗って、飯岡の公園まで走ることが出来た。調子に乗って堤防の上を走っていたら、大きな波しぶきをザブンと被ってしまった。
Ha03


10キロほど走って同じ道を戻ることになったが、今度は向かい風である。標識を見るとこれも太平洋岸自転車道になっていることが解った。
Ha04


砂が道をふさぐのは、海沿いの自転車道ではどこでも有りの現象だ。3.11の事を考えるとこのような危ない道は今後無くなり、堤防内の見晴らしの悪い道に付け替えられることだろう。
Ha05


最後は、雨が激しくなって雨具を着たり、バッグにもカバーを付けたりしてチョイ走りは終わった。
Ha06


時間も充分にあるから、近くのかんぽの宿旭で一風呂浴びてから移動することにした。
Ha07


道の駅しょうなん
 前日に手賀沼湖畔の道の駅しょうなんまで移動してきた。午前中の雨も上がり日も差してきたのだが、翌日は雨の予報でお花見ランは中止になってしまった。前泊地と違って、驚くほど多くの車中泊の車が止まっていた。疲れも有りよく眠れたが、朝方からやはり雨音がし出した。雨は冷たく走る気分も削がれてしまった。隣の菜の花を見るぐらいにして帰路についた。
Ha08


なかがわ水遊園
 どうせ時間もあるからと、柏から会津若松までの国道294があることを思い出した。6号線から294に入ると最初は2車線の立派な道だった。それもいつしか田舎道となり益子・烏山とかかつて走った所を通り過ぎていった。いつしか雨も上がり、「なかがわ水遊園」というかつて見知った地名に引かれて車を止めた。
Ha09


 結構花も咲いているようで、花見を兼ねてポタることにした。これは、辛夷か木蓮か?なかなか覚えられない。
Ha10


 スイセンの花畑も満開であった。会津ではようやく蕾が出たところだ。
Ha11


 那珂川沿いの桜並木、この辺りまで来るとようやく3分咲きでこれからという所か。その分静かで良かった。
Ha12


 紅梅の梅?それとも桃の花?向こうに見えるのは水族館、寄らずに来てしまったが、見てくれば良かったかな。
Ha13


 関東ふれあいの道というのを見つけて田舎道を走ってみた。これはリンゴの花かな。
Ha14


 すごく立派な桜の大木を見つけて横道にそれたら、個人の住宅の桜のようだった!
Ha15


 花も良かったが、古墳がすごかった。田圃の中にポツンポツンと小山が残されていた。
Ha16


 
 2日間で40キロに満たない走りであったが、中身はまずまずで距離より内容ですよというところかな。

2016年12月21日 (水)

旧陸羽街道 12/20

 冬になると会津は寒いけれど、浜通や関東へ行くと天気が良くて冬でもサイクリングのシーズンです。年末も押し詰まってきてどこか良いところはないかと地図を眺めていたら、那須町から大田原にかけて旧陸羽街道というのを見つけました。天気の良さそうな日を狙って早速出かけてみました。
 スタートは伊王野の道の駅にしました。車で一般道を使っても丁度2時間ぐらい、冬の甲子越えが大変ですが丁度手頃な場所です。
Ri01

 

 

 北へ向かって走り出してすぐに、「堂の下の岩観音」という標識を見つけて立ち寄ってみました。これはその下にあった石像群、双体道祖神まで奉ってありました。
Ri02

 

 

 国道294を離れて県道72へと入りました。大田原21kmとありますがこれが旧陸羽街道です。
Ri04

 

 

 小さな上り下りがあって、久しぶりに走ったせいかなかなか調子が出ませんでした。古物を期待して走ったのですが、一里塚が2つ3つ残されていました。
Ri05

 

 

 道路脇に青線が引かれていました。自転車路側帯なのでしょうか。自転車マークにChamp Road って?
Ri06

 

 

 越堀というところで那珂川を渡りました。この先は目立ったものもなく大田原に向かいました。
Ri07

 

 

 大田原市街に入る手前で左折して国道461に入りました。新しく出来た広い通りで、国際医療福祉大辺りは、だだっ広い畑が広がっていました。
Ri08

 

 

 お昼を兼ねて立ち寄った道の駅那須与一の里。どういう謂われなのでしょうか。伝承館もあったのですが、有料なので止めにしました。やっぱり見てくれば良かったかな。
Ri09

 

 

 道の駅にあった案内板を便りに、関東ふれあいの道を走って黒羽に向かいました。みちのくに入る前に、芭蕉がこの辺りに滞在していたようです。
Ri10

 

 

 黒羽は八溝山とか馬頭町とかの起点になるので何度が通過していました。今回はふれあいの道を辿ってきたせいで、歩道しかない橋を渡ることになりました。川は午前中に渡った那珂川です。
Ri11

 

 

 県道を使って道の駅まで戻ろうかと思ったのですが、なかなか道が捕まらずに結局は国道294を使って道の駅まで戻りました。たいした距離も時間も走ってなかったのに結構疲れが出て、帰りの運転が眠くなってしまったので、下郷に入ってから、弥五島・郷の湯で一風呂浴びて帰ってきました。
Ri12

 

 

 

 

 

2016年4月17日 (日)

東京の島へ 雄山環状林道 4/13

 この日は1時半頃の船で帰ることになるから、あまりゆっくり出来ない。風はあるが天気は上々、民宿前のガザニアも朝から花開いているようだ。
Ka01

 

 

 雄山の周りにある環状林道というのが気になっていた。とりあえず、一番近い南戸林道を上ってみることにした。
Ka02

 

 

 これは、ジオトレッキングコースというトレッキングのルートになっている。自転車なら少しは速いペースでこなせると踏んだのだが。
Ka03

 

 

 まず、甑(コシキ)の穴という江戸時代の噴火口の中へ入ってみた。
Ka04

 

 

 まだまだ時間がありそうだからと更に高度を上げていった。錆ヶ浜港やその先の三本岳がよく見えた。
Ka05

 

 

 鉄砲沢という場所には、溶岩流を食い止めるための大きな鉄柵が作られていた。
Ka06

 

 

 南戸林道の終点には意外とあっけなく着いてしまった。上には雄山の峰がよく見えたが、ここからは立入禁止区域だ。しかし、雄山環状林道が走っており反時計回りに少し走ってみることにした。
Ka07

 

 

 これが、かなりダイナミックで溶岩流のまっただ中を抜けていた。それに、吹き飛ばされそうな強風も吹き荒れていた。
Ka08

 

 

 1983年の溶岩流は部落一つを飲み込んだだけあって、いまだに荒々しい様子を残していた。
Ka09

 

海側も良く見下ろせたが、山側の雄山の峰峰が間近に迫り迫力の景観だった。
Ka10

 

 

 ようやく以前観光牧場があったところまで来た。
Ka11

 

 

 七島展望台まで上がってみたが、とにかく強風で、天気は良いのだが霞んでいて遠くまでは見渡せなかった。
Ka12

 

 

 むしろ、牧場跡から雄山方面の方がなかなかの眺めだった。この牧場も以前は観光地として賑わっていたようだ。
Ka13

 

 

 そろそろ時間だからと林道雄山線を下ることにした。急坂を転がるように下っていくのだが、溶岩の通り道を何度か横切ることになった。
Ka14

 

 

 下りきって、富賀神社前まで達したときには、リムが触れないくらい熱くなっていた。これも、小径車の欠点かもしれない。
Ka15

 

 

 港に戻り時間を確認するが船は予定通りに入港するらしい。食堂を探し腹を満たした後、モニュメント前で自転車を分解した。
Ka16

 

 

 来た時と同じ橘丸が入港してきた。6時間余の船旅で竹芝桟橋を目指すことになる。
Ka17

 

 

 三宅島は次第に遠のいていく、走り残した雄山環状林道をまた走りに来ることが出来るであろうか。
Ka18

 

 

 三宅島を走るに当たっては、三宅島観光協会の東京・三宅島 ジテンシャ ジオトレッキング MAPが便利です。

 

2016年4月16日 (土)

東京の島へ  三宅島一周  4/12

風は強かったが、船は予定通り錆ヶ浜に5時に到着した。乗ってきたのは橘丸といい、御蔵島から八丈島へ行き、午後1時過ぎにはまた三宅島に戻るという毎日が強行軍だ。
Is01

 

 

 湊のモニュメント前で組み立てて、寝不足なのか船酔いなのか今ひとつ調子の出ないまま走り出した。
Is02

 

 

 島は一周が38キロほどと小さいから、慌てる必要は無い。小径車を持ってきたのもポタ程度とのもくろみもあったからだ。海岸沿いには南国の植物もあり遠くには三本岳も見えるが、何せ風が強く冷たかった。
Is03

 

 

 すぐに海岸沿いは荒々しい溶岩の景観に変わった。
Is04

 

 

 阿古地区は1983年の噴火で壊滅し、一度消滅し今の町はその後復興したことが分かった。遠く見えるのが島の最高峰雄山で、現在も立入禁止区域となっている。
Is05

 

 

 各所にジオスポットなる掲示板があり、詳しい説明がなされていた。ここには、溶岩の中に自動車が埋まっていることなどが書かれていた。ほぼ、20年に一度噴火している三宅島はそのたび毎に姿を大きく変えていることが分かり驚きであった。
Is06

 

 

 手軽なポタのつもりだったのに、急な上り下りが多いのには手を焼いた。峠に野仏があったりするのは内地も同じだが、公衆電話ボックスがかなり残っていた。潮風のためか錆び付きも目立ったが。
Is07

 

 

 上り下りの激しい一周道路を離れて伊豆岬へ。見かけは穏やかだが、風は相変わらず強だ。
Is08

 

 

 河岸沿いを走って大久保浜へ、波打ち際でジャリジャリと音がする石ころだらけの浜辺は以前に来た時、地引をしたり泳いだりした場所なのだろうか。記憶は定かで無かった。
Is09

 

 

 三宅島神着が父の故郷である。記憶を頼りにうろついたり、役場の出張所に聞いたりしてみたが、実家の所在までは分からなかった。そこで、神着の大桜の前で写真を撮り良しとすることにした。
Is10

 

 

 神着でも有名人ならこのように、銅像も生家も残っていた。
Is11

 

 

 神着付近は比較的噴火の被害が少なかったように記憶しているが、東側に回るにつれてその跡が顕著になってくる。椎取神社は一番近い2000年の噴火で被害を受けた地域である。このように鳥居も神社も溶岩に埋もれていた。
Is12

 

 

 熱よりガスがひどかったようで、椎の木を始め樹木は全て枯れ、ようやく新しい木々が緑をもたらしていているようだ。
Is13

 

 

 島の東側は噴火の跡が生々しく、海岸線がそのたびに姿を変えていた。ひょうたん山は1940年の噴火で海岸が埋め尽くされ岬となった所である。
Is14

 

 

 次々と荒々しい景観が現れた。三七山は1962年に出来た火口であるという。島中至る所が火口でもあった。
Is15

 

 

 三池港も大型船が停泊できる港である。海岸沿いに木の柵が並んでいたが、松の苗を育てているようだった。いわきの新舞子海岸でも震災後同様な柵を見かけたが、津波で死滅した松林の再生が狙いなのであろう。この先には三宅空港もあるが小さくてあまり利用されていないようだ。
Is16

 

 

 坪田に入り、長太郎池というのがあり海岸線に降りてみた。溶岩によって囲われた小さな入り江で、海水浴や磯の生物の観察に適するとあったが、生き物の姿はあまり見ることが出来なかった。昼食のパンを狙ってかカラスが2羽うろついていた。
Is17

 

 

 三宅島では恐らく唯一の淡水の池である大路池。ポスターにもなっていた桟橋で写真を撮った。
Is18

 

 

 三宅島の樹木は本土と同じ椎の木が多いようだ。これは、迷子椎といって、森林内で目印となる大木椎である。大路池の遊歩道からアカコッコ館へと小径車の軽さを利用して抜けることができた。
Is19

 

 

 立根と呼ばれる辺りは、2000年の噴火後の復旧のために作り替えられた道のようで、海側にはすぐ近くに御蔵島が見え、海岸沿いの先にちょっと飛び出すのは、新鼻新山という溶岩で一夜にして出来た岬である。
Is20

 

 

 新鼻新山のちょっと内陸の道路際には溶岩台地が広がってきた、上部から流れ出してきた溶岩が、朝に上陸した阿古方面とこちらの新鼻新山方面へと分流して流れ出してきたようであった。
Is21

 

 

 ようやく島内一周を終え、朝に立ち寄れなかった火山体験歩道へと足を踏み入れてみた。真っ黒な溶岩の中に、中学校の上部だけが残っていた。1983年の噴火の跡で、全員避難し阿古地区では一人の被害者も無かったという驚きの状態であった。
Is22

 

 

 宿は、観光案内所に紹介してもらった民宿みなとにした。宿は韓国釜山出身の海が好きという奥さんが切り盛りしていた。名は忘れたが大きな魚の煮付け、アシタバのおひたし等海辺の料理だった。
Is23

 

 

 走った距離は僅かだったが睡眠不足の疲れもあり、夕食後早々に床についた。島は一周してしまったし明日はどこへ行こうか。

 

 

2016年4月14日 (木)

東京の島 プロローグ 4/11

 久しぶりの輪行です。小径車のトレンクルだから輪行は楽ちんです。遅い新幹線で東京へと向かいます。
Mi1

 

 

 東京都内は走るのに一苦労です。隅田川付近をうろつきますが、幹線を離れればそこそこ走れるかな。
Mi2

 

 

 スカイツリー辺りにも行ってみました。もちろん、上りませんが。
Mi3

 

 

 平日で、桜も終わりだから浅草辺りも比較的空いていましたね。
Mi4

 

 

 目的はいつもの自転車屋さんかな。
Mi5

 

 

 本日の泊まりは2段ベッド・・・YH? いえいえ、特2等の船室です。目的地は、都内では無く他にあったのです。
Mi6

 

 

 竹芝桟橋を遅く出向した船は、あいにく冬型のため風が強く大型船ですがユラユラと進みます。船酔いを恐れてなるべく動かずに寝ていました。夜通し船は進みます。大島はとっくに過ぎています。どこへ向かうのでしょうか。
Mi7

 

 

 向かう「東京の島へ」は伊豆七島の「三宅島」です。
Mi8

 

 

実は、三宅島を訪れるのは3度目なのですが、前回は50年以上も前のことになります。さて、その様子は・・・

 

2015年12月10日 (木)

すりばち荘忘年会 その3 12/7

 当日に電話して泊まった武甲温泉別館は、日帰り温泉横に建つ一戸建ての宿泊施設だった。このような宿は初めてで少し面食らった。
Th01

 

 

 翌朝は早めにおきて7時半ぐらいには出発した。平日で工場が稼働していると言うこともあり、大きな煙突から煙が吹き出していた。それに、国道筋は車も多かった。
Th02

 

 

 根古屋から脇道に入ると少しは静かになった。削り取られた武甲山が眼前にそびえていた。
Th03

 

 

 しばらくは、大きな石灰工場があるところを走って行った。工場用のダンプやタンクローリーが走っていて気を遣った。でも、自然と隣り合わせで工場の屋根の上では猿が見張りをしていた。
Th04

 

 

 工場地帯を過ぎ急な上りをやっと上ったところが、武甲山登山の駐車場であった。平日とはいえ車が何台も止まっていた。妻坂峠は登山道とは異なる方向で、峠まで約1時間との表示があった。
Th05

 

 

 林道から別れて山道に入った。入り口には熊の看板があったが、ありきたりの「熊注意」ではなく、「熊さんへのお願い」という熊の領域に入るハイカーを襲わないで、とのユニークなものだった。
Th06

 

 

 最初は押し上げ可能な山道だったが・・・
Th07

 

 

 妻坂沢のあたりは沢のように荒れた道で、担ぎも余儀なくされた。
Th08

 

 

 再び押し上げ可能な山道となった。杉が見事に植林されており、手の入った山であると感じられた。
Th09

 

 

 山と山の丁度狭間に妻坂峠はあった。石仏も奉られており趣ある良い峠だった。ただ、武川岳と大持山をつなぐ縦走路が横切っており何人か通ったハイカーは峠に立ち止まる者は誰一人なく通過していった。
Th10

 

 

 下り道も杉林の中を巻きながらの道であった。
Th11

 

 

 林道に出てからは名郷に向かって一気に下っていったが、味わいのある良い道だった。
Th12

 

 

 名郷からはかなり頑張って山伏峠を越えた。山伏峠は隣の正丸峠と共にサイクリストの目指す有名な峠であったが、今は趣のない峠となっていた。
Th13

 

 

 正丸トンネル出口までの下り道はこれも楽しい道で、スタートの横瀬町へと戻っていった。
Th14

 

 

 車を置いた武甲温泉の日帰り湯で汗を流してゆっくりしてから、車での帰路についた。
Th15

 

 

 妻坂峠は1971年の2月(学生時代最後の時)に越そうと思って出かけたが、上から降りてきたハンターに雪があると言って止められ、峠越えを断念したお想いでのある峠だった。今回はまた一つその心残りをなくすことが出来た。
 今回の御荷鉾林道しかり、妻坂峠を横断する縦走路しかり、仲間が越えたという八丁や天丸の林道といい、新しい道がどんどん出来ていることが分かった。以前からサイクリストは人の来ない山の奥へ奥へと分け入った行ったが、この年になるとそうも行かない。昔のままの頭でとめと置かないと・・・