「津」を尋ねて 3/15
例年になく寒かった会津も、雪解けが急速に進みようやく自転車乗りの季節を迎えることになりました。天気の良い日を狙ってのサイクリングです。
「会津」という地名の起こりは日本書紀に載っていて、裏日本と表日本を進んだ将軍が出会った所を「相津」と呼んだことにあるようです。将軍の話は眉唾ですが、縄文時代辺りから裏日本と表日本の文化の交流点としての津(水辺の人の集まるところ)があったようです。今回はそれを求めて自転車をこぎ出しました。
若松から北上して、日橋川を切立橋で渡り喜多方へと入りました。この橋はドイツ製で明治時代は九州鉄道の鉄橋だったという歴史的建造物です。
日橋川に沿って下って塩川へ、米沢街道に位置する塩川は、水運による物資の移動が盛んに行われていたところです。
猪苗代湖を水源とする日橋川は阿賀川と合流します。会津盆地の真ん中でのゆったりとした流れは津が近いことを感じさせます。
阿賀川を渡って、坂下町に入ると東北第2の大きさを誇る前方後円墳があります。この辺りの地名を青津といいます。古くから多くの人が集まっていた所なのでしょう。
更に川沿いに下り、会津坂下町と喜多方市の境辺りに来ると、三日月湖が残っていたりして、川の流れが時代と共に変わってきた事が分かります。
ちょっと坂下に戻ったところにあったレアな温泉、そこの地名をとって津尻温泉といいます。津の尻・・この辺りが津の端っこだったのでしょうか。
帰り道は阿賀川沿いのサイクリング道路を使いました。まだまだ残雪の残る磐梯山が良く見えました。山が走れるようになるのはまだまだ先のようです。
帰ってからちょっとくしゃみが、会津もそろそろ花粉の季節かな。
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